クラウンヒルズ姫路の駐車場は、なぜ廃墟なのか

エリア解説
クラウンヒルズ姫路駐車場の脇に置かれたロダン「考える人」複製像

クラウンヒルズ姫路の駐車場。その入口の脇に、なぜか立派なブロンズ像が二体、立っています。

一体は、あの『考える人』。ロダンの作です(さすがに複製でしょうが)、頬杖をついて考え込んでいます。もう一体は、幼子を連れた着物姿の『おかあさん』。作者は北村西望、長崎の平和祈念像をつくった文化勲章の彫刻家です。

こんな立派な像が鎮座する玄関を構えたこの建物は、いったい何だったのでしょうか。今はクラウンヒルズの駐車場ですが、それにしては造りが豪華すぎます。アーチ型の堂々とした玄関も、車は脇の側道から入るので、もう誰も通りません。

気になって、登記を取ってみました。

1. まずは、A棟とB棟の位置関係

上空から見たクラウンヒルズ姫路A棟(右・サーモン色の低層棟)とB棟(左・白い高層棟)

現地の位置関係を整理しておきます。

考える人とおかあさんが立っているあの建物を、ここでは「A棟」と呼びます。看板にもはっきり「クラウンヒルズ姫路 駐車場」と書かれている、今は駐車場の建物です。そして道を挟んだすぐ近くに、今も営業している客室棟があります。こちらを「B棟」と呼びます。A棟もB棟も、同じクラウンヒルズ姫路。ここまでは、現地に立てば誰でも分かることです。

私が「おや?」と思ったのは、別のところでした。駐車場であるA棟の屋上には、今も「ビジネスホテル フローラルイン」の大きな看板が、デカデカと残っているのです。これだけ見れば、誰だって「ここにフローラルインというホテルがあったんだな」と思うでしょう。私もそう思い込んでいました。

ところが、登記を見ると違いました。そのフローラルインの本体——客室があったのは、今クラウンヒルズが入っているB棟のほうだったのです。屋上に大看板を掲げ、考える人まで従えているA棟は、客室棟ではありませんでした。では、A棟はいったい何だったのか。ここからが本題です。

2. 登記でわかった、2棟の正体

A棟正面玄関(引き)。左に「ホテル クラウンヒルズ姫路 お客様専用駐車場」の看板、中央にアーチ型の入口

法務局の登記には、その建物が「いつ建ったか」「どんな用途か」が書かれています。さっそく両棟を見比べました。

まずB棟。種類はずばり「旅館」。地下1階付き10階建てで、新築は昭和60年(1985年)。客室は300室前後(資料によって285室、315室と記載が分かれます)。なるほど、こちらが正真正銘のホテルです。

問題はA棟でした。種類の欄にあったのは、「旅館」ではありません。「店舗・事務所・公衆浴場・車庫」。鉄筋コンクリート6階建てで、新築は平成元年(1989年)。ホテルではないのです。

気になるのは「公衆浴場」。お堅い言葉ですが、要するに今でいうスパや温浴施設——大きなお風呂やサウナを備えた、入浴そのものを楽しむ場所のことです。これにお店、事務所、そして車庫(=駐車場)まで。なんとも盛りだくさんで、しかも駐車場は最初から用途に入っていました。

2棟とも、建てたのは奥内(おくうち)という一族です。この名字、あとで効いてきます。

ただし、同じ人物ではありませんでした。1985年に本館B棟を建てたのは、奥内豊吉という人。そして1988年、豊吉が世を去ります。A棟が建つのは、その翌年です。

父が建てた本館の向かいに、代替わりした次の世代が、もう一棟を建てる。しかもそれが、1989年のことでした。

そして、いかにもバブルらしいのがお金のスケールです。登記に残る根抵当権の極度額は、B棟が22億円、A棟が42億円。

ただし、この42億円はA棟一棟に対する額ではありません。登記には「共同担保」の記載があり、複数の物件をまとめて担保に入れた枠です。極度額そのものも、実際に借りた額ではなく「ここまでなら担保する」という上限にすぎません。

それでも、上限として42億円という数字が置かれたこと自体が、当時の地価と与信の空気を映しています。地価が下がった今では、まずつかない額でしょう。

ちなみに、A棟が完成した1989年11月の翌月、日経平均は当時の史上最高値をつけます。そして担保の設定が登記に載るのは、さらに翌年の1990年3月。建物も、株価の天井も、担保の枠も、みんなバブルのいちばん高いところに並んでいます。

さらに味わい深いのが融資元です。B棟は幸福銀行、A棟はさくら銀行。——どちらも、今はもうありません。幸福銀行は経営破綻し、さくら銀行は合併で名前が消えました。建物より先に、お金を貸した銀行のほうが退場してしまったわけです。

ホテルでもないのに、スパまで備えた、妙に豪華なA棟。その正体を、次でいよいよのぞいてみます。

3. A棟は、“遊びの殿堂”だった

クラウンヒルズ姫路駐車場棟の正面玄関。アーチ型のガラス扉の上にステンドグラスが残る

では、A棟はいったい何だったのか。幸い、中身をたどる手がかりが二つ残っていました。当時の宿泊施設検索サイトに残った掲載情報と、図書館で見た1992年の住宅地図です。ひと言でいえば、いかにもバブル。宿泊とは関係のない娯楽に、惜しみなくお金をかけた棟だったのです。

このホテル、名前を「オクウチ」といいます。そう、建てた奥内家の名字そのもの。客室があるのは向かいのB棟(本館)で、A棟のほうは、もっぱら“遊び”を引き受ける棟でした。

この棟には、当時の名前もありました。「バスレジャーオクウチ」。1992年の住宅地図には、階ごとの中身がこう記されています。——1階、駐車場。2階、サウナ風呂。3階、大宴会場。5階、スイミングプール。

その中身が、なかなかのものです。館内には、ジムやエアロビクススタジオを備えた「スポーツクラブ オクウチ」。そして、各種のお風呂やサウナをそろえた「温浴クラブ オクウチ」——これこそ、登記にあった「公衆浴場」の正体です。今でいうスパですね。

5階には、スイミングプール。屋根が開く造りで、天気のいい日は空の下で泳げました。登記の床面積を見ると、1階から4階までがそれぞれ1000〜1180平方メートルあるのに、5階だけ556平方メートル、6階は306平方メートルしかありません。プールの上が抜けていたからです。数字だけ見ても、この棟の上のほうが普通の建物でないことが分かります。

あのステンドグラスをはめた立派なアーチ型の玄関は、この“遊びの棟”へ客を迎えるための、晴れやかな正面玄関でした。ただの駐車場にしては造りが豪華すぎたのも、道理です。

泊まって、食べて、披露宴を挙げるのは、向かいの本館B棟。泳いで、鍛えて、湯に浸かるのは、こちらのA棟。

——とはいえ、きれいに分かれていたわけでもありません。A棟の3階にも大宴会場がありました。道の両側で、宴会をやっていたのです。

本館のほうには、日本料理の平泉、中華料理の桃華苑、ティーラウンジのポピーナ、バーのうすけぼー。1992年の住宅地図にも、2005年の宿泊サイトの掲載にも、同じ顔ぶれが並んでいます。

A棟屋上に残る「ビジネスホテル フローラルイン」の看板。

4. 名前を変えながら、ホテルは続いた

華やかなオクウチの時代も、永遠には続きませんでした。

といっても、派手につぶれたわけではありません。登記をたどると、2005年(平成17年)、奥内家はこのホテルを手放しています。買ったのは、鹿児島のケイオー開発という会社。あくまで「売却」であって、「倒産」ではありませんでした。

翌2006年、ホテルは新しい名前で再スタートします。それが——そう、A棟の屋上に今も看板が残る「ビジネスホテル フローラルイン」です。客室のあるB棟を改装しての再開でした。ちなみに電話番号は、オクウチ時代の「079-222-8000」をそのまま引き継いでいます。建物も番号も、名前だけ変えて生き延びたわけです。

このフローラルイン時代に、ちょっといい話があります。2011年、ホテルは本館(B棟)に「こもれび保育園」を開きました。きっかけは行政の号令でも補助金でもなく、フローラルイン自身の取り組み。産休・育休明けの女性社員が職場に戻りやすいようにと、本館の宴会場だったフロアを改装して、社員のための保育所をつくったのです。しかもこの園は、社員だけでなく地域にも開放されていました。かつて宴会客でにぎわったフロアが、子どもたちの声で満ちる場所に変わっていた——なんだか、いい転身です。

そして2014年(平成26年)、ホテルはふたたび手を変えます。横浜のブリーズベイホテルという会社が事業を引き継ぎ、名前は今の「クラウンヒルズ姫路」に。オクウチ、フローラルイン、クラウンヒルズ——B棟は二度の改名をくぐり抜けて、今日まで客を迎え続けてきたのです。

5. テナントが去って、駐車場だけが残った

では、その後A棟はどうなったのか。

オクウチがフローラルインに変わったあとも、A棟のスポーツクラブや温浴施設は、「スポーツスクエア スターサップ姫路」というフィットネスクラブに引き継がれていました。東大阪のチェーンが運営する施設です。このころのA棟は、フィットネスクラブであると同時に、ホテルの駐車場でもありました。

ところが2013年(平成25年)6月末、そのスターサップが閉店します。泳ぐ人も、汗を流す人も、いなくなりました。翌2014年、クラウンヒルズの時代になると、A棟に残ったのは、駐車場だけになりました。

思い出してください。第2節で見たA棟の登記、種類は「店舗・事務所・公衆浴場・車庫」。最後の「車庫」、つまり駐車場は、新築のときからずっと、A棟の役割のひとつでした。今あるのは、にぎやかな“遊び”が静かになって、もとからあった駐車場が残った姿、というわけです。

今も残るのは、あの豪華なアーチ型の玄関だけです。

6. 考える人は、なぜそこにいるのか

北村西望作「おかあさん」像

さて、最初の話に戻ります。あの、考える人とおかあさんです。

実はこの二体、はじめからあの場所にいたわけではありませんでした。20年ほど前の写真を見ると、二体は道の向かい——客室のある本館B棟の、ガラス張りの玄関に立っています。泊まりに来た人を、最初に出迎える場所でした。

それが今は、静かになったA棟のアーチ玄関の脇に、ぽつんと移されています。かつて宿泊客を迎えた像が、車しか通らない玄関のそばで、今日も頬杖をついている。なんだか不思議な眺めです。

ちなみに、平和祈念像をつくった北村西望の作とはいえ、このおかあさんも、向かいの考える人と同じく、おそらく複製でしょう。西望のブロンズは人気で、同じ像が各地に出回っています。

ただ、調べていくうちに、「バブルの見栄」では説明のつかないことが出てきました。

1992年の住宅地図には、本館B棟の館内に、こう記されているのです。——「エコール・ド・パリ美術館」。ホテルの中に、美術館がありました。

本館を建てた奥内豊吉という人は、1972年から大阪・豊中で美術館を開いています。奥内陶芸美術館。今も公益財団法人として続いている施設です。その展示室に並ぶ彫刻は、ロダン、澤田政廣、北村西望。絵画のほうには、キスリング、マルケ、マリー・ローランサン、藤田嗣治——エコール・ド・パリの画家たちです。

彫刻のロダンと北村西望。姫路の玄関に立っている、あの二体と同じ組み合わせでした。

ここから先は推測になります。ホテルの中にあった美術館に何が置かれていたのか、その記録は見つけられませんでした。ただ、この人は淡路島に高さ100メートルの観音像を建て、その内部を自分の収集品の展示室にしています。建てた建物に、自分の集めたものを入れる人でした。

だとすれば、玄関のあの二体も、見栄で置かれたのではなかったのかもしれません。集めていた人が、自分の建てた建物に、自分のものを置いた。それだけのことだったのではないか。

バブルが建て、銀行が消え、名前は二度変わり、遊びの殿堂も静かになりました。それでも、考える人とおかあさんは、まだそこに立っています。

姫路駅の南を子連れで通りかかったら、おかあさんの足もとを、よく見てみてください。小さな子どもが、母をまっすぐ見上げています。その愛らしい姿を見ていると、複製だとか見栄だとか、そんな話はもうどうでもよくなって、ふっと、心が温かくなるはずです。


出典・参考にした主な資料

本記事の建物に関する事実は、不動産登記(一次資料)にもとづいています。

登記(登記情報提供サービスで取得)

  • A棟:姫路市東延末三丁目28番地・29番地/家屋番号28番の建物全部事項および建物図面(種類「店舗・事務所・公衆浴場・車庫」、平成元年新築、各階床面積、所有権の変遷、根抵当権・共同担保の記載など)
  • B棟:同三丁目56番地・41番地/家屋番号56番の建物全部事項および建物図面(種類「旅館」、昭和60年新築、根抵当権など)

ホテルの施設・沿革

  • 宿泊施設検索サイト「日本の旅」(株式会社メディアジャパン)に残るホテルオクウチの掲載ページ(客室数、スポーツクラブ オクウチ、温浴クラブ オクウチ、宴会・レストラン)
  • ゼンリン住宅地図 姫路市 1992年版(図書館所蔵。記載内容を書き起こしたもので、地図面の複製・掲載はしていません。A棟「バスレジャーオクウチ」の階別用途、館内飲食店、本館内「エコール・ド・パリ美術館」の記載など)
  • 宿泊予約サイト「トクー!」ホテルオクウチ掲載ページ(2005年11月時点の登録情報。客室数、施設・設備、館内飲食店)
  • フローラルイン姫路・クラウンヒルズ姫路・スポーツスクエア スターサップ姫路の営業/閉店に関する公開情報

こもれび保育園

建築主・美術館

ブロンズ像『考える人』『おかあさん』

時代背景

  • 1989年前後の地価・日経平均などバブル期の経済状況、近年のビジネスホテル建設費の相場に関する公開情報

※建物に関する記述は登記(一次資料)を基礎とし、施設名・沿革・人物情報は複数の公開情報を突き合わせて確認しています。登記に含まれる相続関係や、公表されていない個人の氏名・住所などの私的情報は記載していません。人物名は、美術館の創設者として公表されている範囲にとどめています。


2026年7月 追記・修正

公開後に入手した資料(1992年の住宅地図、当時の宿泊サイト掲載、建築主に関する公開情報)にもとづき、プールの階数、担保(根抵当・共同担保)の記述、建築主に関する記述を修正しました。

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